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学問と勉強の違いから見た、ワクワクを手に入れるための学び方

「勉強しなさい」

この言葉について、ポジティブな気持ちを持つ人はあまり多くないと思います。

自分にとっては、やりたいと思ってもいない詰め込みの作業を机に座ることを強いられ、決められた作業量と時間を拘束されながら頑張らなければならないからです。

そもそも勉強の漢字をばらばらにしてみると

勉:力を出してはげむ。つとめる。

強:強いこと。また、強いもの。
訓読みでは、強(し)いる、強(し)いられる

力を出してはげむことを強いる、或いは強いられる。

こんなにも強迫観念が強い言葉だと思い返したことがあるでしょうか。

ある意味では、勉強しなさい!と言われる言葉と言葉の意味は合致しているでしょうが、その言葉と自分の将来の幸せとが合致しないことで思い悩む人もいるでしょう。

自分の人生が幸せになるために

貧困にあえぐ環境であれば、生きていくのに不自由がなくなるために、誰にも騙されないように知識を吸収し、収入を得るために学びを深めるでしょうが、今、私たちをめぐる環境と言えば、死や生と真正面に付き合う機会が少ないものだから、勉強をする意義も少し違ったものであるようにも思います。

しかしながら、自分が幸せになるために、自分の好奇心をより大きいものにして、社会と繋がっていきたいと考えた時、何かの使命感を感じた時にも、学ぶという意味において、趣が違ったものにもなります。

学問とは

同じく、学ぶという意味合いの学問ではありますが、ガクモンと呼ぶのではなく、【問いを学ぶ】という意味で考えるとどうでしょうか。

問いを学ぶ、つまり仮説を立てることを学ぶということです。

今ある環境、状況の中から違和感や何らかのギャップ、足りていないことや、プラスできるもの、新しい価値を創るための仮説の立て方や、そこに至るまでの情報収集や分析をも一体的(体系的)に学ぶことを学問と捉えれば、今まさに必要とされている人材として必要とされているものこそが学問だと言えるでしょう。

学ぶという同じ文脈で使用する言葉としても【勉強】と【学問】はここまで趣が違うし、自分が何のために、何を学ぶのかということについての、ヒントにもなると思います。

自分の好奇心を満たすモノやコト、時間や空間、肌感覚について、あらゆる経験をフル稼働させて自分の心を見つめていく。

そういう心持ちと、そういう自分に対して、今まで経験したことがないような、行ったことがない土地へ行き、自分の周りにいないような人たちと出会い、食べたことが無いものを食べ、自分の殻を破るような様々な経験をし続け、自分に注いであげると、自分の好奇心の何が、どのようにくすぐられるのかを実感することはできます。

ある人は山へ行き、自然の営みに触れながら、自然の豊かさと経済性を調和させるようなテクノロジーを追求するかもしれないし、ある人は誰も知らない深海の秘密を探求するかもしれない、ある人は発酵の魅力を追求し、ある人は人間の限界を突破することを生きがいとするかもしれません。

何が自分の心の琴線に触れるのでしょうか。

ただの知識はインターネットの中に溢れかえり、自分だけが知りうる知識は陳腐化してしまったかもしれませんが、自分が幸せを感じるこの感覚は他の誰とも共有することができない自分だけの財産のようなものです。

社会と関わっていく中で、誰かの役に立ちたいと思うのであれば、世の中に出向き、まちづくりに係わる人と出会うもよし、バイトとは違うボランティア、或いは解決報酬型のような働き方で会社や商店と付き合うもよし、誰かの手を借りて日本流レモネードスタンドで商売をしてみるのも良い。

平和や、地球、環境について興味があれば、すぐにでも海外の人たちとコンタクトを取れるオンラインのコミュニティに所属するのが良いでしょう。

気になる分野が無い人は、自分の興味のあるなしに係わらず、やったことがないリストを作り上げて、すぐできるものから順番に実行していくだけでも、自分の好奇心の場所を探すことができるかもしれません。

そもそも、自分のことを知るということについては、平常時良く知る自分を見つけることは非常に困難です。

むしろ、できなかった経験や、できなかったことができた経験、或いは非日常の空間や時間による刺激によって、再認識することが多いように思います。

そのような経験を養分として自分に注いであげて欲しいです。

そして、自分の進む道のようなものがぼんやりとでも見出せるようになってきたら、とことんその道を進めば良いと思います。

その中で、これも足りない、あれも足りないなど、関係が無いと思っていたような分野の知識や経験が足りなくなってきたり、或いは他者と協業することによって、思いもよらない学びが手に入るかもしれません。

実は、道を見出すまでに学ぶことも学問であるし、道が定まって、或いは社会人になって仕事をしている時も実体験の学問によって学んでいると見て良いと思います。

ただそれは、自分から出るアウトプットの形がある程度体系化できた時に、学問という形になるのであって、それまでの間は、常に自分から出てきた直感的な問い、仮説の先に出てくる結果を追いかけているに過ぎないのです。

いつの間にか英語が話せるようになるみたいに、いつの間にか自分の中で形になっていて、それがアウトプットという形で、自分で再認識することによって、達成感であったり、成功体験が生まれるわけです。

だからこそ、成功体験が重要だとか、学びは大切だとか言われるわけですが、それらの基礎になっているものが好奇心なわけで、その好奇心を生み出すためには、特に学生時代では自分の自分の中にはない体験をするというプロセスを経る必要があるので、学問の重要性に気づかず、勉強を強いられるという認識になるし、強いる方もそれに気づいていない場合があります。

好きなことをするのが良い!ということを薦める方も多くいらっしゃいますが、その言葉だけをうのみにしてはいけません。

それには前提となることがあって、自分の好奇心が十分に満たされて、それは自分の中にはない経験が発端となっているのか、或いは自分の中にワクワクとした今までにはない気づきから始まっているのか、そしてその好奇心の先を進んでいきたいという強い意志の香りを感じられるのか。という、自分自身のあり方があってのことなのです。

鶏が先か、卵が先かというような話にもなりますが、今から一年前までを振り返ってみて、今自分自身が選択して新しいコトをしているかどうか、その新しいコトをしてみて、ワクワクするのかどうか。

そのようなことに耳を傾けながら、もし新しいコトを実践していなかったり、ワクワクが足りていない方は、是非とも、やりたいコトリストではなく、やったコトが無いリストを作ってみてください。

やったことが無いことばかりのこの世の中で、あなたがピックアップする10個程度のやったコトが無いリストは、きっとあなたの好奇心の直感からきていることだろうと思います。

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