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美しき無駄に全力の汗を

シンプルなもの、効率的なもの、本質的なもの

この後に続くものは美しく、そして好感が持てるものです。

そして、それらのものは常に無数の余地(可能性)に対する圧倒的な試行錯誤(無駄)の上に立っていて、一つの極めんとする道になります。

また、その道は進んでいく人の独自の道であると共に、一つの型となり、場合によっては、その型を昇華させていくために流派となって、人の生きざまから型が浮かび上がり、その完成を求めて、多くの人が偉大なる試行錯誤を続けています。

こう聞くと、いかにも無駄が美しいもののように聞こえますが、美しい無駄が日常の中でどれだけ重要視されているのか。無駄とは何なのか。そのようなことを考えてみたいと思います。

無駄:役に立たないこと。それをしただけのかいがないこと。また、そのさま。無益。(国語辞典)

無駄だと確実に言えるのであれば、それは無駄なのかもしれません。
ただ、自分が他人から言われたことや、自分で思った無駄が、本当に無駄なコトなのか。それを考えてみたいと思っています。

例えば、試行錯誤をひとまず無駄だと仮定すると、無駄は良いなぁっと思えるのですが、視点や、時間、目的、熱量を変えて考えてみると、その印象は変わるモノです。

ここで整理して考えてみます。

今年入社したばかりのあなたは、新人研修を受け終わってすぐに、あるプロジェクトを任されます。そこで成功のために全力を尽くしてとった行動によって、その一週間後、そのプロジェクトが失敗に終わったとしましょう。

視点:誰が、誰に
時間:どれぐらいの期間で
目的:何のために
熱量:やりきったか

視点

今、行動に移したあなたに対して、その行動が無駄だと誰かが注意するとします。それは誰でしょうか?今、そこには自分と、会社の先輩がいます。

自分?いや、恐らくは会社の先輩でしょう。何故なら、自分は全力を尽くしたし、一週間後に失敗することも想像していません。しかし、先輩は経験がある分、そのプロジェクトに対してどのような行動をとれば良いのかについて、自分よりも詳しいと思われるからです。

そこで、そもそも考えたいのが

無駄という言葉を使う時。私たちは誰に対して使用することが多いでしょうか。自分?いや、多くは他者に対してではないでしょうか。

無駄という言葉を言われる時。私たちは誰から言われるでしょうか。自分からの問いかけ?いや、多くは他者から言われるのではないでしょうか。

その行動は本当に無駄なコトだったのでしょうか。

時間

では、時間の幅を少し広くとってみましょう。

先ほどの自分の行動に対して、今日、明日ではなく、1週間で振り返ってみましょう。

先輩からは無駄だと言われたその行動。反省の結果、もしかしたら改善する余地があって、行動自体は無駄だったと反省するかもしれません。

では、20年後に振り返ってみたらどうでしょうか。

無駄だと思うかもしれませんが、あの時があったから、今の自分があるんだ。無駄なコトは何もなかった。と言うかもしれません。

その時は一旦判断をしたけれども、その判断をいつしか覆すこともあります。それでも、その行動は本当に無駄なコトだったのでしょうか。

目的

二つの違いは何でしょうか。同じ行動に対して、どのような軸で判断したのでしょうか。一旦、目的と仮定してみましょう。

一週間後の目的:プロジェクトや仕事、具体的な目標のある成功にたいしてどうだったか。

10年後の目的:今までの人生を振り返って、歩んできた生き方に対してどうだったか。

行動と目的の結果がどう一致するのかを考えてみると、一週間後の目的とその行動には直接の因果関係が見られるでしょうが、10年後の目的と行動には直接の因果関係は見られないものの、10年後のあり方に対する関係性はみられるでしょう。そもそも、10年後も覚えているぐらいの行動ですから。

熱量

ただ、10年前のプロジェクト失敗につながる自分の行動を忘れていたとすれば、そのプロジェクトにかけたあなたの熱量は大したことがなかったかもしれません。

逆に、覚えていて、何らかの学びがあった、或いは、時に助けてもらった人に、今も助けてもらっていたり、ビジネスパートナーになっているなど、記憶に残っているほどの熱量でプロジェクトに取り組んでいたのであれば、その時の行動は無駄ではなかったと言えるでしょう。

いくつか分けながら無駄について考えてみましたが、それでも無駄であったと思えることもあるでしょうし、実際にそうかもしれません。

ただ、それは本当に無駄という言葉で締めくくってしまっても良いのだろうか。と思うわけです。

大いなる失敗ではあったかもしれませんが、その失敗がなければ、次の成功には至らないかもしれないからです。

全身全霊を込めた全力で汗をかこう

全ての行動が試行錯誤で積み重なる行動になるためには、全身全霊を込めた全力で取り組むことです。楽しみきることであり、やりきったと自分が思える事です。

誰かに言われたとか、プレッシャーとか、そういう外的要因ではなく、全て自分が決めた全力を尽くしたのか。そういう全力です。この全力の姿勢については、次回の記事に書きたいと思います。テーマは【真面目】。

最後にお花屋さんらしく、植物を例に例えてみましょう。

若い木は新芽が出てから縦横無尽に枝や葉を伸ばしつくします。邪魔するものがなければ、全身全霊で日光を探して葉や枝を伸ばしていくでしょう。

自然界の中で、成長できる余地(可能性)があれば、自らのエネルギーを出し切って成長していくのです。

それが人間界で育てられるようになると、誰か他人の都合で、無駄な葉は選定され、支柱を立てられ、形を整えられるようになります。

時には、プランターの大きさに限りがあるから、寄せ植えをしているから、隣の庭にかかってしまうから、生垣だから・・・たくさんの理由で。

私たち人間が植物の力を借りて、生活の中に自然を取り入れる時、私達は限られた条件の中で最大限、最適な力を発揮して欲しいと期待するようになります。

それ自体は良いことなのかもしれませんが、度合いが過ぎると、私達人間の成長にとっては障害になってしまう時があるかもしれません。

一見無駄に見えることであっても、それは美しい試行錯誤や、全力投球なのかもしれない。一旦は落ち着いて、その真剣さに耳を傾け、目を配る。

そういう余裕をみんなが持つことができれば、自然の調和を私たちの日常に取り入れることに繋がっていくと信じています。

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